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ナマケモノの日々


by adisesaworks

「いのちの食べかた」後遺症

陽の光のまったくささない身動きのままならない棺桶ほどのようなコンクリートの部屋で、することは味もそっけもないほぼ毎日おなじ食事を食べることだけ。まわりには無数のおなじような仲間たちがひしめきあっている。

生まれてこのかた、それ以外の風景を見たこともないし、なんの情報もいっさいない、だから他をうらやむことがない。時間の感覚も季節もない。

あるとき、初めて見知らぬ場所へほうりこまれたと思ったら、大きな音を出すものが近づいてきて、一瞬恐怖と痛みを感じたら、それですべてなくなった。

そしてまたおなじように生まれ代わり、おなじように一生を終える。何度も何度も。

・・・食牛、食豚、プロイラーの生活って、こんなもんなんだろうか。エゴがない。

きめられた手順できめられたように次から次へと作業を手際よくくりかえす。

余計なことを考えると手元がくるって怪我をしてしまうから、全神経を集中して作業をする。

神人合一の職人ワザの境地。

・・・手際のよい職人さんたちって、こんな感じなんだろうか。ある意味エゴがない。

黙々と休みなく動く機械。

・・・機械だから当然エゴがない。

ひとつぶの雑草の種も残さず、一匹の虫も残さずに、おなじ種類の作物だけを育てようとするのは、完璧主義というエゴである。

完璧に殺菌しよう、というのは、エゴ + 無理、である。人間の身体の中にはそもそも無数の細菌がすんでいるから、絶対に無理である。

ならば、美しい地球を残したい、というのは、美しいものを欲望する人間のエゴなのか?

昔の地球のほうがよかった、と思うのは、過去に執着する人間のエゴなのか?

動植物たちは、そんなことを考えず、与えられた環境の中で、ただ生まれ、そして死ぬ。

プロイラーの生活は10年後の私たちの姿なんである。たぶん。

・・・と、台所でとりとめのないことを考えていたら、ラジオから聞こえてきた言葉が、ふと心に留まる。

・・・大地とともに暮らすようになってから、自分探しが終わった。

とりあえず、とりとめのなさが落ち着いた。でもこれが答えというわけではない。

「いのちの食べかた」・・・Our Daily Bread・・・

これの後遺症にちがいない。
by adisesaworks | 2008-02-09 10:55 | 日々のあれこれ